予想のつかない方へ
増田真結|京都在住歴 25年
漂流するように音楽を続けてきたという増田さん。そのなかで他者の表現に向かい合う姿は、気がついたら隣にすっといてくれるような温かさがあります。マイペースに、着実に。予想していなかった発見がある京都の町で、目の前のものや人に真摯に向き合う姿が印象的です。京都の町がぴったりはまった増田さんの、音や音楽を通した関わり、暮らしについてお聞きしました。
取材場所は、学生時代からしばしば訪れているという京都府立植物園。
取材:2025年10月
おいしいものが食べられる町
生まれは東京ですが父の仕事の都合で1歳半で引越し、小学1年生の夏まで大阪の枚方市で育ちました。この頃から京都には縁がありました。京阪電車に乗って、家族でおいしいものを食べに行っていた記憶があります。中でも鍵善良房でくずきりを食べるのが楽しみでした。くずきりの器に張られた水の中には透き通った氷が入っていて、箸でくずきりを掴もうとした時に鳴る、ガラガラというダイナミックな音をよく覚えています。器は内側が黒く、水も氷も透き通っていて、くずきりだけが半透明なんですね。見た目は夜空みたいに静かなのに、すごく元気な音がするんだな、と子どもながらに驚きました。一緒に出てくる和三盆のお菓子、菊寿糖を口の中でゆっくり溶かして味わうのも楽しみでした。味覚の記憶が強く、その他のことはあまり覚えていません。その頃の京都の印象は「おいしいものが食べられる町」でした。

その後、父の転勤で東京のニュータウンに引っ越しました。ニュータウンは地形に特色があるわけでもないし、何代も続くような人間関係もありません。核家族が基本で、居住している年齢層も、暮らしのありかたも同質性が高いんですね。自我の形成にあたって、土地や人間から受ける影響はほとんどなかったように思います。
中学校と高校の修学旅行先はいずれも京都でした。中学校の先生が予約して連れて行ってくれた清水寺近くにある順正さん(清水順正 おかべ家)に行ったことが今でも記憶に残っています。建物にも趣があって、出てきた料理も本格的な湯豆腐。当時は少し背伸びをしているようで嬉しかったです。また、清水寺の近くはどこも歴史と切り離せない町並みがあり、自分の住んでいるニュータウンとは違いすぎて新鮮でした。京都は土地や建物などを含めて文化が関わり合って蓄積している感じがあり、それらの体験すべてが楽しかったです。

予想のつかない方を選んだ方が面白そう
今は作曲をしていますが、はじまりは2歳のときに始めたピアノです。枚方の社宅にピアノの先生がいらっしゃって、当時は習い事といえばピアノというくらい、そこに住んでいる子はみんながやっていました。それなら自分もやってみようかな、と始めました。ピアノを弾くことは苦ではなかったんですが、練習は嫌いで、強い熱意もありませんでした。ただ、一度始めたことは続けてみたほうがよい、という家の方針もあり、ほかに得意なこともなかったので続けていたという感じです。そのまま、高校もピアノで受験することになり、都立芸術高校(現東京都立総合芸術高等学校)に進学しました。当時は各学年に音楽科、美術科1クラスずつあって、先生も生徒も面白い人が多かったです。制服もなく、生徒の自主性を尊重する風土があり、すでに小さな大学みたいでした。こういう人たちが集まってくる芸術大学は面白そうだな、でも人前で演奏することにさほど関心がもてないし、大学でピアノを続けることはないかな、と思いました。
芸術系の高校はカリキュラムが特殊なので、途中から一般大学を志望するのは難しいんですね。進路を変更するとしたら音楽学か作曲でした。音楽学を選ぶのであれば語学が必須だろうと思ったのですが、あまり得意ではなかったことと、音楽の仕組みを勉強してみるのは面白いかも、とも思い、高校2年生の冬頃に作曲を選びました。
そこから入試のために勉強を始めましたが、合格するまでに2,3年はかかるだろうと言われていたので浪人確定です。東京藝術大学を受けていましたが、浪人は2年までと決まっていたため、最後の年はいろいろ受けることになりました。東京藝大が前期入試で、京都市立芸術大学(京都芸大)は後期入試があったので、そこで初めて選択肢にあがりました。
大学見学を目的に、母と久しぶりに京都を訪ねたのですが、記憶に残ったのは寺町二条界隈の食でした。一保堂の喫茶室嘉木で、はじめて丁寧に自分でほうじ茶をいれて飲んだこと。そこに添えられた焼き餅の、日常感ただようおいしさ。梶井基次郎『檸檬』にゆかりのある青果店、八百卯の2階で果物の盛り合わせを頼み、はじめてアボカドを食べたこと。お茶も和菓子も果物も、普段口にするものと似て非なるおいしさがあって驚きました。食べることが好きなので、京都に住んだら、ふらっとこういうお店に来られるのか、いいな、と思いました。
合格したのは地元の私立大学と京都芸大の2つ。両親は音楽と関係のない仕事をしていたからか、音楽をするなら東京の方が良いだろう、という考えもなく「予想のつかない方を選んだ方がいいんじゃない。京都で大学生活を送るのも面白そうだね」と背中を押してくれました。京都の方が、これまで出会ったことがないような人と関わることができるのではないか、ということも考えていたそうです。私自身も浪人生活で疲れ切っていたので、新しい生活をしたいと思いました。なので、気がついたら京都に流れ着いていたような感じです。

先輩の影響で現代音楽に出会う
大学に入ってまずびっくりしたのが、自分の曲を作りたいという、まわりの人たちのくっきりとした熱意でした。当然といえば当然ですが、私はそういう気持ちがあまり先立っていなかったので。当時の学生はみな、作りたいものを作りたいように作っていました。当時いらっしゃった3人の先生に、それぞれ自由にレッスンを受けにいくことができて、先生方も音楽のジャンルや方向性を制限しませんでした。そのため、私は大学に入って初めて自分が音楽とどう付き合っていくかを考えることになりました。
私がそれまで勉強してきたのはクラシック音楽です。そこには長い歴史があって、演奏する時もこういうフレーズの時は ちょっとゆっくりした方がいいとか、こういう時はここにアクセントを置いたらいいといった、楽譜に書かれていない習慣がいろいろあるんですね。ピアノの先生の演奏を聴いてその奏法を真似することはできるけれど、実際のところ腑に落ちた感じはありませんでした。なんでそうするのか、根本的なところがわからないままやっていたんです。
そんな中、大学の先輩たちの影響で現代音楽に出会いました。「この曲がかっこいい」「こんな楽譜を手に入れた」「この曲は面白いから、ぜひ自分たちでも演奏してみたい」と活発に、楽しそうに情報交換していたんですね。現代音楽はクラシック音楽の延長線上にありますが、必ずしも、いわゆるヨーロッパの伝統に根ざしたものだけではありません。多様な表現があり得るジャンルだったのが新鮮で、初めて音楽の中でも楽しいと感じることができました。現代音楽に出会えていなかったら、音楽は続けていなかったと思います。
現代音楽の面白さを体感してから、初めて曲を書いてみました。数分程度のピアノ曲です。当時読んでいた現代詩をもとに、音読したときのリズムやスピード感を、一本の旋律にして書いてみたらどうなるかな、と考えながら取り組みました。結構面白いものが作れたと思えました。これまで好きだったものを関連させながら自分で何かを作ることができるんだ、という実感が湧いて嬉しかったですね。

現代美術やパフォーマンスと接点をもてる音楽
家族に連れられてよく展覧会に行っていたこともあり、美術がずっと好きです。現代美術やパフォーマンスアートと現代音楽は近いところにあり、音楽を通してそれらと接点をもち得ることに気づけたのも嬉しい発見でした。
思い返せば、高校も小規模な芸術大学のような環境で、京都芸大の音楽学部も1学年60人程度、作曲専攻は1学年に多くても4人ほどでした。学生同士の距離は近かったですね。美術の人と何かを作っている人もいたり、美術の研究室で進めている制作に音楽が必要になったとき、作曲専攻の学生として参加することもありました。私はもともと人付き合いがとても狭いので、この小規模な環境も自分に合っていたのだと思います。
論理的には説明できませんが、京都の町も似たようなところがありますよね。いろんな専門性をもったアーティストがいろんな場面で関わり合って「今度一緒に何かやってみよう」とか「あの人を誘ったら面白そうじゃないか」というやりとりが自然と生まれているように思います。小さなコミュニティがたくさんあって、それがくっついたり離れたり、自由に活動している感じです。
私が制作するときもこの感じがあることで、いい影響があると思っています。うまく言葉にできないんですが、気づいたら人とつながっているというか。公演に行ったときに、偶然知り合いから人を紹介されたり。出会いを求めて公演に行くわけではないけれど、誰かを通じて誰かと知り合うことが多いと思います。異なる専門性の人と出会いやすいし、それぞれがほかのジャンルに興味をもっているのが心地良いです。

彫刻を眺めるように作曲する
京都は余白の中で制作することが許されていると感じます。ドイツへ留学したときに実感したのが、制作ではまず言葉で自己主張しないと始まらない、ということでした。「私はこれがしたい」「私はこう考えている」「私の考えを理解してください」ということを言語化できないと話にならない。知識としては理解していましたが、体験してみると強烈でした。レッスンでは、日本人であること、京都から留学していることなど、土地と自我を関連づけながら、それが制作にどう関わっているのかを明らかにするための質問が毎日のように続くんですね。私の場合ニュータウン育ちということもあって、もともと土地と自我の関係は希薄で、いわゆるアイデンティティがそのまま制作の起点になることもありませんでした。小学生のときから本を読むのが好きだったのですが、面白い本を書きたい!という気持ちにはならなかった。むしろ「この本のどこが好きなのか」と考えることで初めて自我が出てくる。何かに向かい合ったときに、間接的に自分のことが理解できる感覚です。それが私にとって自然だったので、西洋の近代的な自我のあり方には、自分の心身がうまくはまらない感じがしました。
私が制作する動機は「創造したい」ではなく「目の前にあるものを観察し、自分だけの角度を見つけたい、描写したい」というものです。私自身というよりは、私と何かの関係を音や音楽で記録したいと思っています。作りたいイメージがあらかじめ自分の中にあって素材を選ぶ、というよりも、目の前の木なり石なりを様々な角度から観察して、そこから形を見出していくようなものです。まだ誰も見つけていない角度を探しあてたいとは毎回思っていますが、私自身の作風は厳密にはありません。
芸術表現は作家性が明確であることが基本ですが、私の場合はかなり曖昧です。それは本来創作上の弱点でもあるので、仮に東京で活動するなら、作家性をガチっと打ち出せないと生きていけなかったのではないかと思います。強い自我をもちながら積極的に自分を主張していくという態度が求められるので、そうやって勝負しなければならない環境も私にはちょっとしんどい。
京都では表現を入口に様々な人とつながっていくことが多く、それも余白の表れだと思います。「この人を紹介しちゃったら私の仕事がなくなるかも」と考えている人が少ないからかもしれません。既得権益を守って大きくしていかなければならない、という雰囲気を京都で感じることはほとんどありません。お互いに表現の方向性を理解しながら、誰かを紹介したり誘ったりする。何か面白い現象が生まれたらいいね、ということをそれぞれに願いつつ活動したり、交流したりしている風土を様々な場面で感じます。漂流するようにずっと制作してきましたが、京都はそれを許してくれる環境があったと思います。

ドイツ留学はターニングポイント
ドイツへの交換留学は半年でしたが、今振り返るとターニングポイントになりました。帰国後、日本語の曲を作りたいと思ったんです。ドイツ語を半年間聞き続けて疲れたというか(笑)。日本語の詩を読み直したときに、あぁいいなと思ったんです。「喉が渇いた、水を飲もう」くらい自然に、日本語と音楽の関わりを捉え直したいと思いました。
歌曲に取り組む中で、半音よりもっと狭い微妙な音程を歌に組み込むことを試すようになりました。テキストを音読している中で、日本語は、長短や強弱のアクセントよりも、微細な抑揚が特徴ではないかと考え始めたこともあり、それがそのまま音の表現につながればいいな、と思うようになったんですね。歌曲の伴奏で一般的なのはピアノですが、この楽器で出せるもっとも狭い音程は半音です。それよりもさらに狭い音というのは楽器の構造上、出すことができない。そこを形にしたいと思ったとき、ピアノを伴奏に使うには響きが馴染まないと思いました。
それを当時ゼミでお世話になっていた柿沼敏江先生に相談すると「日本は箏の奏者が弾きながら歌うという伝統がある。箏で作ってみたらどうか」と教えてくださったんです。考えてもいなかった方法で、楽しそうだと思いました。
あらかじめ音の高さが決められたピアノとは違って、箏はひとつずつ、細やかに音程を設定することができる楽器です。東京の祖母が端唄(はうた)をずっと習っていて、免状を取得していたこともあり、幼少期に箏や三味線の弾き唄いをしばしば聴いていた記憶がありました。邦楽での半音は、西洋音楽のそれよりも狭い、ということが研究でも指摘されていますが、祖母の声や音の記憶を通してそれを理解できたときは嬉しかったですね。柿沼先生からはご専門であるハリー・パーチの創作楽器と独自の音律との関わりや、アメリカの実験音楽など、たくさんの影響を受けました。
その後箏と歌の研究を始め、この内容を基軸に大学院博士課程を修了しました。これまで取り組んでこなかった日本音楽について、京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センターの田鍬智志先生や、センターの蔵書、収蔵されている楽器、京都在住の箏、三絃の奏者でもある中川佳代子さんに助けられながら学びました。改めて京都という場所や大学の環境、先生方の影響によって今の自分があるのだと実感します。

京都芸術センターは文化的なハブ
西洋音楽的な表現の中での日本語の歌と邦楽的な唄、両方書けるようになってきたところで、これを切り分けずにひとつの枠組みで提示できたら面白いなと考えるようになりました。ちょうど京都芸術センターから「KAC Performing Arts Program / Music 」の枠組みで何かやりたいことはありますか?と尋ねていただいたので、モノオペラを作ってみたいと話してみました。それでコーディネーターの方が山口茜さんを紹介してくれました。
題材に選んだのは江戸川乱歩の『人でなしの恋』です。オペラで国際的に活躍されていた藤木大地さんが出演を快諾くださり、中川佳代子さんの声の表現と対置することを考えました。洋楽的な歌を通して藤木さんが演じる主人公の内面的な世界、邦楽的な唄では現実を描写するように構成しました。小学生のときから江戸川乱歩が好きだったので、この世界に音楽を通して向き合えたことは嬉しかったです。
その後、同じく芸術センターのコーディネーターの方から提案いただいた田中遊さんとの協働では、町田康の『告白』をもとに新たな音頭の創作を試みました。ここでは、日本語を「うた」として組み立てるのではなく、原作の『告白』にある独特の語り口を起点に、俳優の発語や語り、それ自体を音楽の一部に組み込むことを目指しました。
自主企画であればジャンルが異なる山口さんや田中さんと出会うことはなかったと思います。また、自分の制作に集中することと、予算管理や演奏者への打診、スケジュール調整を含む公演の運営と成功を、同時に目指していくのは難しかったと思います。コーディネーターの方々と一緒に働かせてもらえたことは貴重な機会でした。公演を作っていくための複合的な視点や具体的な進め方を間近で学ばせてもらうことは、表現活動と社会のつながりを意識するきっかけになりました。
京都芸術センターは京都の文化的なハブだと思いますが、多様な表現活動がそれぞれ充実していて、アクセスしやすいところも京都の魅力だと思います。町のサイズ感もありますが、それぞれの領域が混じり合うように、人の交流も盛んなのだと思います。自分が専門とするジャンルを軸足に、面白そうなことはまず一緒にやってみよう、という懐の深い人たちがたくさんいて、刺激を受けました。そのような京都ならではの気質がどのように醸成されるのか私にはわかりませんが、貴重な一面だと思います。
芸術センター以外にも、京都には多様な空間があります。クラシカルなホールでは京都コンサートホール、バロックザールや府民ホールアルティ。大学時代の自主企画の演奏会では、比較的安価に借りられた北文化会館、西文化会館ウエスティ、ウィングス京都でも公演をしました。ほかにも京都市国際交流会館や京都文化博物館などを使用した記憶があります。公共施設以外に、個人が運営している空間も数多くあるのが京都の特徴ですね。アクセスしやすい場所に多様なサイズ、環境、建築、独特の音響をもつ空間が充実していて、会場によっては内容に応じてフレキシブルに対応してもらえる。表現活動をしたい人にとっては、自分の表現に適切な空間を、必ず探し出すことができる町ではないかと思います。
店主の世界観がにじみ出す、誰かの家にお邪魔しているような気分
京都のお店の品揃えにはいつも刺激を受けてきました。今は開いていませんが三月書房や、1928ビルの地下、アンデパンダンの奥にあった当時のParallax Records。1928ビルは建物全体のありようが好きでしたね。
それぞれメインの商品はあるけれど、それ以外にもセレクトされた商品が並んでいるお店が京都には多いですよね。その広がりのある感じが作曲をするときの感覚にちょっと近いと思っています。例えば恵文社一乗寺店やメリーゴーランドKYOTO。メリーゴーランドKYOTOは、子どもが小さかった時に初めて行きました。そのお店でしか出会えない絵本とともに、大人のための本もあります。本棚を眺めているうちに「親」以外の自分と久しぶりに再会できて、嬉しかったのを覚えています。隣にはギャラリーがあり独自のイベントもされています。店舗のある寿ビルディングの建物も大好きです。
学生時代はミニシアターといえば京都みなみ会館だったのでよく通いました。ここでは映画だけでなく、入口に置かれていた映画関連の古本との出会いも思い出深いです。最近はミニシアターも増えて、京都シネマやアップリンク京都、出町座にも行きます。出町座は本も売っている映画館ですね。
最近印象的だったのは、塚本晋也監督の映画をMETROで上映したイベントです。クラブの音響システムで聴く、皮膚がびりびり震えるような石川忠の音は、映画館でも自宅でも得られない貴重な体験でした。
こういうところの何がいいのかというと、文化が複合的に関わり合っているのを感じられることです。その関わり方もいろいろなバランスがあり、それぞれの新しい側面が見えてくる。私の住んでいたニュータウンにはそうしたお店が全然なかったので、京都のお店や空間は、誰かの家にお邪魔しているような面白さがあります。空間を満たしているもの全体から、そのお店の方の視点や考えていることが伝わってくるような感じがして、楽しいですね、今でも。
京都では、そこに関わる人がその土地で何を考え、どういうふうに社会と接点をもっているか、様々なありようを通して感じる場面が多いように思います。自分の考えていることや、大事にしたいことを静かに主張しつつ、通り過ぎていく人に対しても割と優しいのが京都の町だと思います。フラッと入ってもお店の人が深く関わってくるわけでもないけれど、こちらが何かを尋ねるといろいろと教えてくれる。 その距離感がいいです。
好きな場所は「どうか無くならないでくれよ」という気持ちで通うようにしています。

やりたいことと、もっと大きな恩返し
箏を作曲の起点に据えてから今まで、音律に興味があります。依頼される仕事では、音律を主題に据えてこなかったのですが、自分のやりたいことをもっとやっていこうと思うようになりました。最近祖母の家に置いてあったアップライトピアノを引き取りました。全然調律されていないんですが、それがよかった。
これまでは新しい音律を開発したいと考えていましたが、やっぱりまずは目の前にあるものに対して関わりたい。 今後は偶発的に「その状態」になってしまった楽器の響きで音楽を組み立てたいという気持ちも大きくなっています。それは、たまたま京都に流れ着いて、その環境に関わろうとした私自身に重なるからかもしれません。 小学校などに調律されてない、廃棄されそうな古いピアノがないか、リサーチしに行きたいですね。
あとは、恩返しをしていきたいです。これまで依頼してくださった方がいるおかげで、今も制作を続けられています。今まで間接的に示してきた視点をもっと明確にしていくことで、私に賭けてくれた方に、もっと大きなお返しができるんじゃないかと、ようやく思えるようになりました。とても長い時間がかかりましたが、不確かな歩みを受け入れてくれた京都という町の余白や、文化の懐の深さにちょっとでも、いろんな形で良いものをお返ししたいと思っています。
プロフィール
1981年生まれ。京都市立芸術大学大学院音楽研究科博士(後期)課程修了。「箏唄の作曲手法ー古代歌曲の古楽譜の解釈と音律研究を起点として」で博士号(音楽)取得。Klanginstallation(ドイツ)、東アジア文化都市2017閉幕式典(韓国)、Music From Japan(アメリカ)等に委嘱作を出品。近年の楽曲にはモノオペラ《ひとでなしの恋》(原作:江戸川乱歩)や《新音頭告白》(原作:町田康)などがあり、声や言葉を端緒とした音楽を演劇作品にも提供している。平成25年度京都市芸術文化特別奨励者(JCMR KYOTOの一員として)。芸術と科学をつなぎ、教育の視点も取り入れた音楽ワークショップを企画・開発する団体20/100(にじゅうひゃく)メンバー、京都教育大学准教授。